感覚に「気のせい」はない

セッションで「どんな感じがしますか?」と尋ねたときに、

「気のせいかもしれないけど・・・」と前置いたり、「・・・でも気のせいなのかもしれませんが」と付け加える方、結構多いのです。

自分の感覚は自分にしか分からないもの。意識に浮かび上がってきたのであれば、それは気のせいでも思い込みでもなく、自分にとっての真実。

それを「気のせい」と前置きたくなってしまうのはなぜなのか。自分の感じたことを断言できないのはなぜなのか。

 

一つは感覚を表現することに慣れていないということ。私を含め、今大人になっているほとんどの人は、今まで生きてきた中で「自分の感覚」について語るチャンスってあんまりなかったはずです。

自分の考え、意見を聞かれることはあっても、自分の感覚を聞かれることはまずありません。「どんな感じがする?」って聞かれることがあったとしても、それはイコール「どんなふうに考えている?」という意味であることがほとんど。だから、「感じる」と「考える」がごっちゃになってたりするんです。

そしてもう一つは、世間の「正しさ」に合わせることに慣れてしまっているので、自分の感覚を自信をもって言葉にできない、ということ。

生まれてすぐのころはみな感覚の塊だったのに、この世に適応するために、自分の感覚に蓋をして、世間でいうところのスタンダードに合わせて生きているうちに、感じること自体分からなくなってしまう。

「何を感じるのが正しいのですか?」
「・・・な感じがするけど、あっていますか?」

と聞いてこられる方も、実際多いのです。

 

だけど、からだの中にあるいろんな感覚こそが、ほかならぬ「私」を構成するもの。生きるって、感じるってことなのです。感じることを放棄してしまったら、他人にゆだねてしまったら、自分の人生を生きていることになりません。「自分を大切にする」というのもよく語られるテーマですが、自分の感覚に気付き、尊重することは、その一番大事なベースになっていると思います。

自分の感覚が分からない、自分の感覚の正しさを他者の判断にゆだねてしまう、というのは、今までの時代では普通のこと・・・というか、必要なことだったのかもしれません。そうすることで、これまでの時代における「調和」が保たれていたのだから、それを批判も否定もする必要はありません。(そういう時代を生き抜いてきた自分を、むしろ褒めてあげよう!)

ただ、時代が変わってきてる、ということ。一人一人が、自分の力で、自分の選択肢を持てる環境が今はある。今息苦しさ、生きづらさを感じている人は、やり方を変えるチャンスです。

本当に自分にとって必要なものはなにか、選び取ることができる力をつけるためにも、どうかどうかどうかどうか、自分が感じていることを大事にしてください。

どんなにちっちゃなことでも、意識にのぼったならばそれは自分にとっての真実。いろんなときに「今、どんな感じがしている?」と自分に聞いてみてください。小さい子どもに聞くように。

人によっては時間がかかるかもしれませんが、慌てず、ゆっくり、じっくりと、取り組む価値は大きいです。

 

 

 

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