ただ裸足で歩くだけで

ボルダリングジムからの帰り道。人も車通りも少ないアスファルトの道。ふと思い立って、サンダルを脱いで裸足で歩いてみました。

日が暮れるのもずいぶん早くなったおかげで19時頃のアスファルトは思いのほかひんやり。アスファルトの凹凸、小さな砂粒の刺激で足裏が一気に目を覚まします。

ガラスとかが落ちてないかだけ気を配りつつ、ゆっくりゆっくり歩く。ふだん、靴に守られている(無意識の)安心感から、いかに無防備に足を地面に投げ出しているかに気が付かされます。

靴を履いているときのスピードで歩いたら絶対痛い。自然と歩く速度はゆっくりになるし、セッションでもよく言う「地面を受けとめるような」歩き方になります。

そんなふうに歩いていると、関節の動きがどんどん滑らかになって、足裏はまるで地面に吸い付くような柔らかさに。足裏の感覚刺激による自己調整は、足だけにとどまらず、膝、股関節、背骨、頭と全身に広がっていきます。がんばって力を使ったために、ふだんと違うバランスになっていたからだが、ふたたび統合されていく。

統合感、つまり「からだが一つである」とか、「からだがつながっている」という感覚は、何よりのリソースで、足裏から全身に広がったそのつながりを感じながら歩いていくことで、調整はまたどんどん進んでいきます。

10分くらい歩いたところで、急にスイッチが入ったように、足指が動き出しました。そうそう、今日は登っているときも、足指に力が入らなかったんだよなぁ。やっぱり趾が効いてると気持ちいいなぁ、なんて悦に入りながら、15分ほどの裸足歩き終了。

ただ裸足で歩くだけで、これだけの変化が起こります。もうちょっと細かく言うと、私の場合はこれだけの変化に気が付きます、の方が正しいかもしれません。

変化というのは、起こすものではなくて、起きていることに気が付くもの。だから裸足歩きでたくさんの変化を起こす、ではなくて、裸足歩きでからだはたくさんの変化を起こしている、それに気付く力があるかどうか、という方がしっくりきます。

からだは常に変化し続けている。変化しなくなるのは死んだときだけ。感じる力を育てるというのは、どんな小さな変化にも気付くことができる観察力を身につける、ということです。

 

なんだか脱線しましたが、夏の夜の気持ちの良い裸足歩きでした。

 

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