あわただしかった春。
手抜きだった家事。
台所のまな板がすこし汚れていました。
まな板の汚れって、生活の忙しさとか、
こころのもやもやと連動しているようで、
だいたい忙しかったときとか、
なんだか気分が落ち込んでるときって、
まな板もなんだかくすんでいるのです。
こころのゆとり
が反映される場所、
とひそかに思っています。
漂白剤をしゅしゅしゅ、とかけて
しばらく待てば、まっしろまな板のできあがり。
こころの垢も一緒に流れてくれたような気分。
これって、一種のセラピーかもしれない。
また板セラピー。
ホントの癒しって、特別なモノなんかじゃなくて
身の回りのいたるところに、そのきっかけは存在していて
「癒える」のか「癒えない」のかは自分次第・・・
最近の学びの色々を通じて、
それをますます強く感じるようになってきました。
– – – –
ロルフィングは「癒し」ではなくて
(きもちいいーとリラックスしてくださる方はたくさんいるけど、それが主目的ではないのです)
そして「治療」でもなくて
(慢性症状が治ったケースもたくさんありますが、それが主目的ではないのです)
「身体教育」と呼んだりもするけれど、
そうすると「ヨガみたいなトレーニング?」と聞かれてしまうこともあり・・・
はたして私はロルフィングで何をしているのか?
と、長いこともやもやしていました。
でも今日まな板を見ていたら、
なんだか腑に落ちた!
「ここにまな板があるよ!」
「ここにキッチンハイターがあるよ!」
とお知らせするのが、私の役割。
そうして、その方が
まな板を手に取り漂白するのを見守る。
その「ミッション」に邪魔が入らないように、場の安全を守る。
やり方が分からなくて困っていたら、ちょっとお手伝いもする。
そしてその方がやり遂げることを信じて待つ。
「癒える」きっかけと、
「癒える」場所を提供することが、私のすること。
そのきっかけと場所を使って
お客様は、自分の力で自分を癒やす。
・・・というのは、何度も先生や本から聞いていたことですが、
もやもやとしていたビジョンが
まな板という、究極の日常アイテムにあてはめて
ようやくはっきりしたのでした。
春の夜、つれづれなるままに。