夏の終わりごろから強烈な片づけ欲に襲われて、この秋はひたすら断捨離に取り組んでいます。
もともとそんなにものを持っている方ではないけれど、それでも時間とともに溜まってくモノたち・・・特に何年も手を付けられずにいたのは、捨て方が分からないものや捨てるのが面倒なもの。あとは思い出の品。
まだ20代の頃、カナダのスパルタ学校で翻訳の勉強をしていた時の教材は、血と汗と涙の結晶感がありすぎて、使いもしないのに捨てられずにいたのだけれど、ようやくさようならすることにしました。これを捨てても、ここで学んだことはちゃんと私の中に残っているってやっと思えたから。
膨大な数の単語とイディオム、例文の暗記という課題のために朝から晩までひたすら聞いていたCDたちよ、さようなら。朝から晩までウォークマンつけてノイローゼになりそうなくらい聞いたことも、ただただ良い思い出。
“I wish sometimes you would show your true self more clearly, ‘cause when you do the sky lights up”
卒業のときに先生に書いてもらった言葉。あの頃はtrue selfなんて考えもしなかった。今もまだまだ模索中。先生、本当の私ってなんですかー
昔からどうにも片付けが苦手で、今も得意ではないのだけれど、でもそれなりに自分が今所有すべきものと手放すものは区別がつくようになってきた。
からだが整っていく感覚と、部屋が整う感覚は、とても似ている。ロルフィングってどんな感じなの?って分からない人は、きれいに片づいて磨かれた部屋にいるときのすっきりした気持ちよさを想像してみるといいかも。
無駄なもの、余計なものがなくて、風通しがよくて、動線がよくて、すみずみまで意識が通っていて、ただそこにいるだけで気持ちがいい、そんなお部屋。
人によっては、いい意味での「無駄」や「遊び」があるのが心地よい部屋だったりもするんだろうな。
どちらにしても、自分とモノや部屋という環境の間に、どれだけ「生きた」関係を築けるかということなんだと思う。
これはいるのかいらないのか。モノとの関係を切ったり結んだりしなおす中で、少しずつtrue selfの輪郭も濃くなってきた、かもしれない。
いま空は、私の頭上で輝いているのだろうか。
長い時間をこえて再開した先生の言葉はあまりに深くて、この先ずっと心に刻んでいこうと思った。
アンドリュー、ありがとうねーーー